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Official Guide

オフィシャルガイドの会

見出しHEADLINE


■ ガイド詰め所が移動になっています

城跡管理棟の改修工事のためガイド詰め所が、ガイダンス施設に移動になっています(撮影:16/12/8)。
工事は12月の初旬から始まり、来年3月下旬に完了の予定です。
主な改修ポイントは、トイレの拡充です。
プラス、外壁のオシャレ化です。何でも周りの雰囲気に合わせて山小屋風になるそうです。
楽しみですね。
なお、イラスト写真は八王子市文化財課から提供していただいたものを使用しています。


(管理棟の工事現場。現在進行形でもっと進んでいます)


(ガイド詰め所がこのガイダンス施設に移動になっています)


(臨時の詰め所は、ガイダンス施設を入って左手、休憩フロアーの右奥です)



■ 峰岸先生の講演会が開催されました

第5回北條氏照まつりのプレイベントとして講演会「八王子と北条氏照の生涯 由井郷を中心に」が開催されました(16/10/22)。
講師は東京都立大名誉教授 峰岸純夫氏で、場所は城跡ガイダンス施設、参加された聴衆は約70名と盛況でした。
今回の講演は氏照公が武蔵国守護代の大石家に養子として入った時代にスポットをあてたものでした。


(峰岸先生恒例のA3版シートに手書きの解説を加えた3頁の資料を配布)


勝者による敗者への配慮

氏照公が元服前、大石家に入ってきた経緯は、小田原北條三代当主 北条氏康が「川越夜戦」で勝利し関東に覇をなすきっかけを作ったとき、敗者のひとりである大石定久に藤菊丸(氏照)を養子にという申し入れをしたことによるものだったとしています。


(身振り手振りとユーモアを交えた語りは次第に会場を熱くさせます)


大石氏の拠点は由井本郷

その大石家の拠点すなわ核となる堀の内が由井本郷、そのまわりの寺社、館(居住区)なども含めた由井郷、これで武蔵各地への支配権を構築した。


浄福寺(松竹)城との関係は

この由井郷から少し離れたところにある浄福寺城について先生は、(連郭式の中世城郭がしっかりと残っている点から)大石氏の築城と考えられるとしています。


浄福寺城を包摂した由井領提示の齋藤慎一氏に異論

一方、江戸東京博物館学芸員の齋藤慎一氏の精力的な研究成果である浄福寺城=由井城としそれらを包含するものとして由井領として提示した考え方に対し異論をとなえ、浄福寺城を氏照の最初の居城と考えるのは妥当性を欠く(由井'領'は広げ過ぎ)としている。
これらについてはこののち(誌上で)意見を交わしたい。
今後は由井本郷地区で館跡の遺構を発掘することが課題となるとしていました。




■ 自刃の淵で供養の読経

とある都内の寺の住職さんが鎮魂のために来てくれました(撮影:16/10/1)。
「御主殿の滝」の滝つぼの真上にある淵、1590年圧倒的な前田・上杉の連合軍の猛攻をうけ千数百人が討死したとされる落城のとき、この御主殿の滝に面した淵で多くのご婦人方が自刃し下の滝つぼに身を投じ、それで城山川は三日三晩、血で真っ赤だったという言い伝えがあります。
住職は以前から、戦国の関東でこれだけの人の血が流れた地に立ち、そこで祈りを捧げる時を持ちたいと考えていたそうです。
最近にはめずらしく水量の多かった滝の音にかき消されることもなく、その読経の音は八王子城山をかけ登るように響いていました。


(自刃の淵に立ちしばし読経を捧げていただきました)


(この御主殿の滝の右上が自刃の淵です)




■ 平成28年 落城命日に墓前で追悼

平成28年の落城命日、氏照公の墓前で追悼をいたしました(撮影:16/7/26)。
梅雨の中休みの午後、氏照公の墓前に集まった有志でまずは墓石をきれいにし、花を手向け焼香し、それぞれの思いをこめ追悼いたしました。
八王子城の落城は1590年6月23日ということになっていますが、これは旧暦ですので、今年の場合は7月26日ということになります。
なお、氏照公が小田原で太閤殿下の命により無念の自刃を遂げたのは7月11日ですが、同様に今年は8月13日です。
この記事はNPO「八王子城跡三ッ鱗会」会員のITHさんから送っていただいた写真をもとに構成しています。


(集まったみんなで墓石と周辺をきれいにします)


(今年はガイドのSNGさんがやおら般若心経を読経しました)


(最後は墓前で集合写真となりました。ITH氏は撮手で写っていません)



■ アシダ曲輪の立ち入り禁止が解除に

長かったアシダ曲輪の立ち入り禁止が解除されました(撮影:16/7/21)。
例年、4月から6月にかけてアシダ曲輪は全面立ち入り禁止になります。
これは一帯がタケノコ狩りの適期となることから地権者の方が取られる処置です。
でも今年はいつもと違って禁止期間が長く7月に入っても禁止はなお続きました。
これでようやく解除で、戦国遺構のひとつで土塁にぐるりと囲まれたアシダ曲輪を見学することができます。
ただ今までとちょっと違うのはガイドと一緒でないと入ってはいけませんと制約がついたことです。
これは地権者の考えにもとづいて、それに行政サイドが対応した結果です。


(慶安の古図にもアシダと明確に記載が残っています)


(左側の「私有地につき・・・・・」は以前から、さらに進入禁止ロープとパウチ表示が)



■ 講演会「八王子城を語る」が開催されました

NPO法人「八王子城跡三ッ鱗会」の主催による第2回講演会「八王子城を語る」が開催されました(16/6/19)。
講師は八王子市元市長 波多野重雄氏で、場所は城跡ガイダンス施設、参加された聴衆は60名ほどと盛況でした。
今、私たちが八王子城跡として眺めている風景は今から28年前、1989年(平成元年)から90年に当時の八王子市長であった波多野さんの英断で発掘・復元が行われたことに負おうています。
今回の講演は当時の思い出ばなしなども含めお聞かせお願いしたいとの趣旨で企画されました。
今から30年前まで林野の風景として埋もれていた八王子城を、白日のもとにさらけ出した発掘・復元、それに引き続く400年記念一大イベントをここでほんの少しですが振り返ってみましょう。
なお、講演会の雰囲気は下の1枚の写真のみ示しておきますが、あとは下に引用した三ッ鱗会ホームページのリンクから参照してください。



八王子城跡の原点、1990年へタイムスリップです

1990年秋に落城四百年イベントが賑々しく繰り広げられました。
もちろんこれは波多野さんがトップダウンで牽引して推し進めた成果に依拠しています。
なぜ落城日の「6/23」でなく秋だったのか?。氏いわく「秋の方が気候がいいから」だったということです。
われわれのガイドメンバーのFJMさんがそのイベントに一市民として参加し、そのとき撮った写真を今回提供してくれました。
さらに、同じくメンバーのNHRさんがその写真をデジタル化してくれました。
取りあえずですが掲載しますので当時の状況を想像してみて下さい。


(今あるガイダンスは造形大学、そこから武者隊が出発。御主殿はすでに広場?)


(大手門の手前広場、大手道:古道は右端登ったところです)


(波多野市長自ら氏照公役。思わず「我こそは北条氏照なり」と檄したそうです)


(すでに陣容豊富な鉢形隊。右敵方の前田隊。三谷幸喜さんの真田丸に出てこないのはなぜだ)


(一般市民も復元した遺構を踏みしめ御主殿広場へ)

講演会の様子はNPO「八王子城跡三ッ鱗会」ホームページに掲載されています。

参照は次をクリック 八王子城を語る



■ 小田原ガイドグループが来城

小田原ガイド協会のガイド員の有志の方々が来城されました(16/5/24)。
メンバーはいずれも小田原ガイド協会に所属するガイド員の方8名で、小田原城に縁のある八王子城の見学を春の勉強会として設定してくれたということです。
案内はNPO「三ッ鱗会」の代表でオフィシャルガイドでもあるKNKさんがあたりました。
この広大な山城を感じ取っていただくには十分な時間ではなかったと思いますので、また機会をつくって来ていただけることを望みます。
ツアーの前にガイダンス施設で行った意見交換の中で、先方は有料でガイドを行い、こちらは無料というのが基本的に違っている点と感じました。
「出」に対しても、先方は何がしかの金額が支払われ、こちらは一切手弁当というのが決定的に違っています。そのためか、駐車場の整備なども行っているとのことです。
ご案内の範囲は小田原城のほか、要望があれば「石垣山一夜城」までも案内するとのことでした。こちらでいえば、頼まれたら浄福寺城まで行く?、ってところかな?


(ガイダンス施設で説明と簡単な意見交換を行いました)



(管理棟の展示パネル前での説明)



(やっぱり集合写真です、ついこちらのクセが出てしまうようです)



■ 小田原北條五代祭りが催されました

第52回北條五代祭りが小田原市で開催されました(16/5/3)。
小田原北條家の配下にある後北條グループが一堂に会したものです。
小田原城銅門広場で出陣式が行われ、そののち1700名にも及ぶ隊列で市内の武者パレードが繰り広げられました。
八王子城 北条氏照隊は40名の武者で編成され、最後まで小田原北條一族を支えた武州八王子城の誇りと結束を確認する一日となりました。
参加された皆さん、本当にありがとうございました。


(小田原城銅門広場で賑々しく行われた出陣式の模様です)



(我が隊の隣にはいつもお姫様隊が並びます。後ろが八王子城隊)



(早雲公は俳優:故 阿藤 快さんから小田原出身の柳沢慎吾さんに禅譲されました)


市内のパレードなど全体はNPO「八王子城跡三ッ鱗会」ホームページに掲載されています。

参照は次をクリック 小田原北條五代祭り

また例年、北條早雲公を演じてくれた故 阿藤 快さんを追悼する、小田原北條五代祭りとして動画をまとめてあります。
視聴は右_(YouTube:3分) 北條五代祭り動画



■ 例大祭奉納 武者決起が敢行されました

春の例大祭、八王子神社が4/16日、八王子城々下の八幡神社が4/17日に催されました。
昼前後の強い風雨の日曜日(16/4/17) 、八王子城隊は八幡神社にて例大祭奉納武者決起を行いました。
例年ならば、八王子城跡御主殿曲輪で出陣式を取り行い、そののち城下の八幡神社まで武者行列を行うのですが、今年は天気予報通りピンポイントで昼前後に強い風雨にみまわれました。
事務局判断で武者行列は中止、出陣式も天候の推移を見てガイダンス施設の横広場で行うこととなりました。
後半は八幡神社に移動し武者決起を敢行することができました。


(YouTube「16年春の例大祭武者決起」の画像を転用)



(事務局から、城下の公道での武者行列は中止の沙汰が伝えられました)



(天気は好展開、根小屋地区(家臣団居住区)で出陣式です)


そののちの八幡神社での雄姿はNPO「八王子城跡三ッ鱗会」ホームページに掲載されています。

参照は次をクリック 16年例大祭



■ 曳橋の架け替えが完了しました

新しい曳橋の開通式が行われました(16/3/26)。
先代の曳橋は木造で朽ちてきたため2013年9月から通行できない状態になっていました。
このたびようやく事態が進展し完成をみることとなりました。
先代はアオモリヒバの一本木で橋脚が立ち上がっていましたが、新しい橋はH鋼桁(鉄骨)から成り、耐久性が大幅に向上されているということです。
ですが、露出している部分は再生木材という樹脂と木材を特殊加工したものが使われているため、触ってみると橋板や欄干はまるで木のようです。
さあ、いずれにしてもこれで私たちは以前のように、大手の登城道から曳橋を渡り御主殿まで辿ることができるようになりました。


(式典儀式が終わり石森市長をはじめとして来賓諸氏が曳橋に向かいます)



(これからテープカットです。我が甲冑隊が警護の任にあたります)



(市長を先頭に渡り初めが行われました。これで気分は万歳です)


関連する記事はNPO「八王子城跡三ッ鱗会」ホームページにも掲載されています。

参照は次をクリック 甲冑隊ご活躍



■ 歴史講座「北条氏照と城館」が開催されました

歴史講座第二回「北条氏照と城館」が八王子市のクリエイトホールで開催されました(16/3/12)。
講師は江戸東京博物館学芸員の齋藤慎一さんで以下のような切り口で説得力のある解説をしていただきました。

[1] 北条氏照の居城、本拠の変遷
[2] 城館の特徴1 堀切と横堀
[3] 城館の特徴2 馬出
[4] 石垣の視点 滝山から八王子へ
[5] 北条家の築城術

400名を超す応募者の中から、会場の収容の関係で選ばれた220名が、感銘深い講演を拝聴することができました。


(パワーポイントを使った分かりやすい説明でした)


由井(浄福寺)城〜滝山城〜八王子城へ

氏照公が居城としたのは武蔵国守護代の大石家に養子入りした由井(浄福寺)城から始まり、次に滝山城へ、さらに晩年の八王子城へと変遷します。
講演では大石家としての以前の時期の居城、椚田(初沢)城からの流れについても言及されました。


(講演に沿う形で、当HP編集局(Fuma Project)が撮影・編集しました)


山城には堀切、平城には横堀

急峻な山城には尾根を利用した堀切、斜面を縦に抉り取った竪堀が作られます(由井城、八王子城)。
これに対し滝山城では横堀が多用されていることが示されました。


小田原北条家と馬出

馬出は本丸などの登城ルートにワンクッションをおくための城郭防御構造のひとつです。
小田原北条家(後北条ともいう)のグループの城ではよく見受けられますが八王子城では存在しません(見つけられていません)。


小田原北条家に特徴的なアゴ止め石

小田原北条家グループの城で、石垣構築の特徴的なものとしてアゴ止め石があります。
これは八王子城でも随所で見られ多用されています。
石垣の構築では平地造成や堀切掘削などから創出した粗割石材が使用されています。
これに対し滝山城では石垣はなく、河原石(丸石)を敷石として利用しているものがある程度です。


(八王子城御主殿裏の四段の石垣群で見られるアゴ止め石)


小田原北条グループの築城術

氏照公が八王子城として築城の技術者集団を抱えていたわけではありません。
小田原北条家のグループとして石工など抱えていて、直属でなく流動的に作業にあたっていたと示唆されました。


関連する記事はNPO「八王子城跡三ッ鱗会」ホームページにも掲載されています。

参照は次をクリック 歴史講座第二回



■ 殿の道の利用に制限がかかりました

殿の道(通称)は御主殿地区から要害部(山頂部)に登るショートカット(近道)ですが、ここの利用に制限がかかりました(撮影:16/2/20)。



このルートには戦国の歴史的遺構がそのまま埋もれることもなく残った「四段の石垣群」があり、それを見るためにこのルートを登る方もいます。
その際の歩行により戦国遺構が破損されてしまうのでは、との危惧からこのような制限の表示に至ったものです。

これには見学者のマナーの問題もあります。



本来の探訪コースは上の写真の赤い矢印を登るものですが(下るのは難コース)、かってに山頂部から下りコースとして入り、ここに来てこわくなり、こともあろうに黄色の矢印のように犬ばしり状の段差を下る人がいるのです。
これでは貴重な歴史遺産が破壊されてしまいます。
そこで行政としては「立ち入りご遠慮」の表示を立てたという次第です。

八王子城には通り一遍の見学ルートとは別に、この山(深沢山)を広大に利用して造り込まれた多彩な戦略システムを見ることができます。
すなわち、そのようなものまで含めて総体として八王子城です。
山襞(ひだ)に造り込まれた戦国の遺構は、現代の我々から見ればある意味では狂気の沙汰に近いものもあります。
しかし、それとても当時の貴重な証言です。
こんなことにならずに全てを堪能していただくため、来城者も行政もお互いにもっと大人の対応ができないものでしょうか。


■ 浄福寺城ツアーの事前踏査を行いました

浄福寺城は八王子城主、北条氏照公が滝山城の前に本拠とした中世の山城です。
今回、NPO「八王子城跡三ッ鱗会」が計画している「浄福寺城探訪ツアー」の事前踏査を、オフィシャルガイドの有志と共同で行いました(16/1/6)。
それについての記事が三ッ鱗会のホームページに記載されていますのでご参照下さい。


(痩せた尾根筋にはしっかりとした堀切がいくつもありました)


リンクは次をクリック 浄福寺城事前踏査



■ 八王子城の紹介用シートを作成しました

八王子城について一目でわかるような写真シートを作成しました。
八王子城の5つの主要地区のうち、@居館地区、A要害地区、B根小屋地区を抽出し、機能分担されたそれぞれが視覚的にわかるように概観したものです。
また、裏面には「八王子城縄張図」を掲載しています。
両面はいずれも当ホームページ編集事務局(風魔Project)の責任で編集したものです。


(八王子城の紹介用シートの一部を掲載)


(八王子城縄張図の一部を掲載)


以下からシートを参照することができます(PDFファイル)。

次をクリック 八王子城紹介用シート


従前の英文シートと並べてガイダンスに配置

従来から英文による解説シートを作成し八王子城跡ガイダンス施設に配置してきましたが、今回作成したシートはそれと並べて平置きしてあります。
場所はガイダンス施設内、中ほど、資料紹介展示コーナーです。
お立ち寄りの際、手にして、城跡廻りの一助としてご活用下さい。


(八王子城英文解説シートの一部を掲載。裏面は省略)


英文解説シートは以下から参照することができます(PDFファイル)。

次をクリック 英文解説シート



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