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Official Guide

ボランティアガイドの会

見出しHEADLINE


■ 八王子城山中腹で「急性支障者」。山岳レスキュー隊出動 !!

城山中腹で倒れている方がいて呼びかけにも応じないと城跡管理棟に駆け込んで来る方がいました。(13/12/7:PM)。
連絡して来た方は、ご家族が山頂まで登り、下山途中で倒れこんでいる方に出会い、それを下の駐車場で待っている奥さまの携帯に連絡をしてきたということです。

こちらのガイド側で119番通報、15分ほどで救急車、消防車、計数台到着(東京消防庁)。こちらから登山道は急傾斜で手押しのストレッチャーなどでの対応は無理と説明。すぐさま山岳レスキュー隊の出動を要請することになった。
まず東京消防庁の初動隊が登り支障者の待機しているところまで辿りついた。そこで意識は回復していることがわかり問診開始。
20分くらいのちに山岳レスキュー隊が到着。
それ以後はレスキュー隊のみごとなまでのスキルで管理棟横で待機していた救急車まで搬送した。

この方たちの連携があれば、高尾・陣馬近辺の山々くらいはヘリの出動とかをしなくてもこうやって救出するんだな、というのが筆者の発見です。


(この場所は4合目、金子丸のすぐ下。意識が回復しているのを見て初動隊が問診)


(山岳レスキュー隊が到着)


(即座に東京消防庁(119番で来る方々)と山岳レスキュー隊の協力チームが形成された)


(レスキュー隊のみごとなスキルで支障者を搬送)


(城跡管理棟横で待機していた救急車に無事到着)


■ 「いちょう祭り」が開催されました。

城跡ガイドの中で構成される八王子城三鱗会が参加しました。(13/11/16-17)。
両日ともいい天気にめぐまれ、10月に予定されていた「北条氏照まつり」が大雨で中止になったのですが、そのうっぷんを晴らすかのようでした。

イベントについてはこちらを参照して下さい。
フォトフォルダーはここをクリック


(武者行列の終盤、出陣の雄たけびを上げる武者の面々)


■ >三尊石がなぜ三角形かわかりますよね

発掘された三角形の石と向かい合っているとわかります。

そうです。後北条一族の象徴、家紋三鱗(ミツウロコ)ですよ(13/10/19)。



御主殿地区で新たに発掘されている戦国時代の庭園遺構、その中でも特筆されるのが中央に配置された三尊石です。
三尊石組は、中央に背の高い主石、左右に添石(脇侍石)の三石で構成されます。
通常主石は、流れ落ちる滝を表現したり仏教の三尊仏を表したりと縦長の背の高い石が用いられます。
ではなぜ御主殿の庭園ではきれいな三角形なんでしょうか。
これは創った人たちの氏照公に対する信奉と後北条に対する思い入れですね。意図して三角形にしたんでしょう。
いわば「三鱗三尊石(ミツウロコ サンゾンセキ)」です。

ちなみにあとの時代ですが、二条城の庭園の三尊石で主石が若干、三角っぽいものはあります。


■ 20年前に発掘調査したその下に・・・・・

御主殿地区で新たな庭園遺構が発掘されたことから調査が長引いています。そこで2回目の現地説明会がもたれました(13/09/13)。
城跡ガイドを対象にした市文化財課のSND学芸員によるツアーです。
20年前の92年、93年(平成4年、5年)にわたり発掘調査が行われ大型礎石建物跡(いわゆる御主殿跡、会所跡)などが出てきて、できる範囲の中ではこれで終わりということで全面にブルーシートを張りその上に60cmの覆土がなされました。
驚きなのは今回の発掘で、さらにその下に、本当の大規模な庭園構造があったということです。 また20年前には杉の列植えがあり発掘できなかった部分にちょうど隠されるように戦国の池が眠っていました。


(城跡ガイドに対する市文化財課のSND学芸員による2回目の説明会)

発掘前から特別のオーラを発していた「戦国証言石」は、実は今回、3つの石組みのセットとして発掘されたということです(13/09/13)。しかし訳あって左側の石は「欠損」にしたようです(訳はここをクリック)。
それではっきりしました。「戦国証言石」は枯山水形式の庭園の単品の守護石や景石(けいせき)などではなく、三尊石組(さんぞんいわぐみ)の中心をなす「中尊石」だったんです。

ひとつ前の下の記事を書いたときには一般的な意味で「守護石」と「拝石(はいせき)」と書きましたが、今回の新たな説明で発掘作業時は三石セットになっていた(左側の石は破砕された状態)という話を聞かされ、ようやく納得したという次第です。

中心の石は最初の発掘から20年間は芝生の原っぱの杉の列植えの中で少しだけ頭をのぞかせていました。
また、筆者は工事の進行にともなってこの石を「戦国証言石」として注目してきました。


(石の大きさは左端の作業者と比較して見て下さい。その大きさが分かります)


(暑さのぶり返した中、SND学芸員どうもありがとうございました)


■ 御主殿地区の発掘で素晴らしい進展です

御主殿地区の新規の発掘調査で新たな庭園遺構が発掘されました(13/08/10)。
この部分は去年(12年)7月から始まった御主殿地区の復元的整備が始まったときは杉の列植えを被ったまま残る予定でした。それが、行政の中での話し合いがつき、流れが変わり、新たな発掘そして新遺構の出現に繋がったものです。
御主殿地区の大型礎石建物跡(いわゆる御主殿跡:遺構No.[SB02])の欠損部分の追加発掘は想定内のものが出てきたという感じです。
ですが、庭園状遺構(遺構No.[SG01])いわゆる庭園部分は晴天の霹靂、新展開です。
なんと見事な池の遺構が出現しました。しかも、戦国の山城作りの合い間に手慰みで作ったようなものではではなく、しっかりとした庭園設計技法にのっとったものです。
このホームページでは当初からひとつの石の存在に注目してそれを「戦国証言石」として状況の進展に合わせ現在進行形で逐次的に紹介してきました。
それがやっぱり意味のある特別の存在だったんです。


(御主殿地区、池遺構の発掘作業風景)

オーラを発していた「戦国証言石」は枯山水形式の庭園の景石(けいせき)ではなく、庭造りの中心となる「守護石」だったんですね。

この石は最初の発掘から20年間は芝生の原っぱの中で少しだけ頭をのぞかせていました
筆者は工事の進行にともなって「戦国証言石」として注目してきました
適宜クリックして下さい。

ちなみに、その右手前は、大きな平天の石なので拝石(はいせき)ですね。

 さらに詳細な記載はここをクリック


(城跡ガイドに対する市文化財課のSND学芸員による事前説明会。08/09)


(新聞報道を受けてのSND学芸員による一般の方々を対象にした説明会。08/10)


■ 八王子城落城の追善供養がとり行われました。

今年は7月30日が落城日(旧暦の6月23日)にあたることから企画されたものです(13/07/30)。
まず、北条氏照公ゆかりの「宗関寺」で氏照公の位牌も飾られる中、宗関寺御住職の厳かな読経のもと立派にとり行われました。
法要の後、氏照公の墓前に場を移し、供花と焼香をしたのち持ち寄った酒肴を頂きながら、暫し談笑を致しました。

この記事はガイドメンバーのUEOさんのメールによる投稿ををもとに記載しました。


(宗関寺本堂にて御住職の読経のもと焼香いたしました)


(氏照公の墓前です。正面には清酒「氏照」が鎮座しています)


■ 手作り甲冑講座のお披露目会がもたれました。

4月からスタートした手作り甲冑講座も終了しお披露目会がもたれました(13/07/06)。
城跡ガイダンス施設はきらびやかな雰囲気がいっぱいでした。
皆さん続々と完成です。
しかも出来ばえは講師陣の去年の成果物より、それを上回るのではないかと思わせるくらいの華やかさと完成度です。
長丁場の中で受講者の皆さんのご努力に敬服いたします。

これからは北条氏照まつりを初めいろんなイベントへの参加をご期待申し上げます。


(やはりこれだけのものを仕上げたNKMさん、奥さまの内助の功があったのですね)


(出来上がったものを事務局に手伝ってもらい装着です)


(八王子城々山方面をバックにして記念撮影です)


■ 御主殿舞台(会所跡)で初めて行われたライブです。

御主殿舞台(会所跡)を明確なイベント(ライブ)として活用したのは初めてです(13/05/18)。
もちろん、小生は「Official Guide」ですので、この遺構は御主殿地区に2つある大型礎石建物跡遺構の中のひとつの会所跡で床面まで復元したものです、と説明しなければなりません。
城主氏照公は隣のもうひとつの大型礎石建物跡遺構:御主殿で接見したのち、ここに席を移し枯山水の庭園を見ながら「まあ、一献」と相成ったわけです。
でもOKです。新しい存在への提言、何かを始めてみましょう。


(大型礎石建物跡遺構:会所の主間、後方は戦国枯山水の石庭の復元です)

【追記】
八王子市文化財課ではこの会所跡の利用方法を検討していて数日中にその規定(?)が出るそうです(13/05/18)。
でも「お役所仕事」で、規制、規制、規制・・・・・と枠をはめないで欲しいです。
筆者は今回のライブについては設定するところからながめていたのですが、最近の技術の進歩には驚くばかりでした。
ボーカルの方のアコースティック(?)ギターに何やら無線で飛ばすものをアタッチして、サポートの方が少し離れたところで電波で受けてという感じですね。
ですので周りの環境については草一本いためていません。市役所の方々ご安心を。
今はどこかのサイトから動画で流れているのでしょうが、ご活躍をお祈り申しあげます。
なお、関連の記載は以下にもあります。

ブログでの記載についてはここをクリック


■ 御主殿遺構イメージのオープンツアーが持たれました。

昨年7月から行われていた御主殿地区の復元的整備工事が完了し正式オープンとなりました(13/04/14)。
初日には八王子城の発掘・復元などに一貫してたずさわってきた八王子市文化財課の新藤康夫学芸員の解説によるフリーツアーがもたれました。
御主殿遺構を見ていると20年前、発掘された当時の状況が目の前に展開されるようです。


(氏照公の執務の場であった御主殿跡の遺構の周辺です)


(会所は床の部分まで復元されました。枯山水の石庭がその前に展開します)


(最後はやっぱり御主殿舞台に勢ぞろいです)


■ 完成した御主殿遺構イメージのガイド研修会がありました。

完成した御主殿地区の遺構イメージの城跡ガイドへの研修会がもたれました(13/04/01)。
正式オープンは4/15日ですがそれに先だって持たれた現地内覧会です。
1987年(昭和62年)ころから行われた発掘・復元に中心的な役割を担ってきた八王子市文化財課のSND学芸員から、地下60cmに眠っている本物の遺構と今回創出したイメージ(オブジェ)との関係など生の話を聞くことができました。
慶安の古図(1648年)に描かれていた夢まぼろしの世界を、発掘という手法によって白日のもとに現出させ、八王子城の存在を証明したという輝かしい成果です。
そして20年経った今また御主殿地区の再展開です。新たな八王子城の遺構イメージの提供です。


(SND学芸員の指示でしっかりと大手道から登城しました。そしてまずはレクチャーです)


(60cm下に眠っている遺構を確認しながらツアーが進みました)


(御主殿舞台に勢ぞろいです。これからこの場所はどのような展開を見せるのでしょうか)

■ 太鼓曲輪尾根、城山川源流部、四段(四団)石垣の踏査隊敢行。

八王子市役所で城跡を管轄するキーパーソンのTJM氏と担当チーフのKNK氏をガイドメンバーが太鼓曲輪尾根およびその周辺をご案内するという踏査ツアーがもたれました(13/01/29)。
AM9:30、宮の前バス停集合。構成は市役所2名、ガイドメンバー10名の計12名の踏査隊です。
城跡城山の4合目の表示のある梅林に立って見たとき対峙して見える太鼓曲輪尾根を、左下の方から右上に登って行ったと考えていただくといいと思います。
太鼓曲輪尾根には戦国の時に作られた5つの堀切があり、それが現在までむき出しのまま残っています。今回のツアーではそれらをつぶさに見て歩きました。
また、大手門跡の少し上の竪堀から登って来るルートとの合流ポイントの確認なども行いました。
落城の日に攻撃軍が見上げたであろう城山要害が、登っていく我々の右手に巻き絵のように展開します。
北高尾山稜尾根との取り付きあたりと城山川源流部上部の城跡への誘導路など実踏することができました。
最後に市教育委員会が進めている四段(四団)石垣の調査測量の進捗もしっかりとチェックしました。


(スタートして初めの方、十連山で戦国遺構のレクチャーです)


(5つある堀切の1番目です。本来の底部の上に数mの土砂が被っているものと思われます)


(5番目の堀切。上部からのぞいて見たものです)


(堀切群が終わったあとの陽だまりの尾根道で集合写真。このほかに撮影したNHR氏がいます)


(四段(四団)石垣の1団目。これぞまぎれもなく後北条の石垣)


(四段(四団)石垣の2団目。この特秘のコースが来城者に人気なんですよ)


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